当クリニックについて
院長の一言
西暦の絞込み:徒然なるままに② ~5月の連休~
2025/05/09 今年の連休は私にとっては飛び石連休のためか休めたような、休みの合間に勤務していたような、そんな中途半端なものでした。そんな中、久しぶりにラ・フォル・ジュルネが開催されている丸の内にお天気に誘われ出かけてみました。丸の内界隈はそれこそ音楽一色。方々で街コンサートが行われていました。私が立ち寄った一つは丸の内ブリックスクエア一号館広場での野外フルート演奏。青空と緑に囲まれている中庭での演奏は心も和み、時折生の鳥のさえずりまで聞こえ、まさに自然と一体の演奏会、癒されました。それからもう一か所、明治安田ヴィレッジ一階アトリウムでのバイオリン演奏。演奏者の一人はまだ高校生ながら力強くそして素人の私にはまさに超絶技巧と思え、近い将来楽しみと感じました。そんな連休、しばしの休日は日頃のストレスを忘れさせてくれ飛び石ながら実にいいひと時でした。
徒然なるままに①~鯉のぼり~
2025/05/02 本日の朝礼で5月の節句の鯉のぼりの謂れについて話しました。今の人たちにはなぜ鯉のぼりがこの季節に飾られるのかを知っている方は少ないようです。ちょっと前までは男子が生まれた家に飾る風習がありましたが今ではそここかしこで飾られているため、その理由がぼやけてしまっているようです。そもそもなぜ鯉を飾るのか。これは昔中国は黄河の上流に竜門なる急流がありその急流を上る(登る)ことが出来た鯉は仏の守りの龍になるとされていたとのこと。ここから登竜門なる言葉も出たようですがいずれにせよ頑張れば物になるということから来ているようです。それにしても男子の節句だから飾るという理由もわからずにただ踏襲すればよいという風習は困ったものです。~このコーナーこれからはテーマも決めず、思った事を気ままに書いて行こうと思います。まさに徒然なるままに...~
わくわくすること
2025/04/17 この歳になると子ども時代と比べ、わくわくする機会もめっきり少なくなってしまいました。歳のせいなのでしょうか。子供時代はとにかくわくわくすることが一杯あり、一日、一週間そして一か月もそれは長く感じていたものです。それが年々短く感じるようになりわくわくする暇もないような、、、寂しい限りです。なぜ子供と比べ大人の時間は短くなるのか。それについて研究した人がいます。フランスの哲学者ポール・ジャネーが考えだしその甥にあたる心理学者のピエール・ジャネーがこれについて書いておりこれをジャネーの法則というそうです。この法則では人間の体感時間は年齢に反比例すると考えられ、例えば50歳の人の一年間はそれまで生きて来た年数の1/50ですから2%。それに比べ10歳の子供にとっての一年は1/10ですから10%に値し50歳の人の一年は5倍も早く過ぎるというのです。私はと言えば・・・。さてお気づきになっている方もいると思うのですが‘あ’から始まったこのシリーズの’院長の一言’も今回の‘わ’で終わります。はてさて次はどんな一言にしようか。お楽しみに~
ロイドメガネ
2025/04/08 最近長年使っていたメガネが壊れてしまいました。 このメガネは私の知り合いが以前裏原宿で眼鏡店をしておりそこで買い求めたものですが、そのお店の名前は確かロイド眼鏡店。ロイドメガネと言う呼び名はセルロイドとアメリカの俳優ハロルドロイドがかけていた丸い縁のおしゃれなメガネからとっているそうです。その眼鏡の形は今また若者たちに受け入れられています。 そう、あの坂本龍一氏もロイドメガネの愛好家で私の知り合いが彼のメガネを作っていたとか。またあのエルトンジョンも来日した折には裏原宿に通っていたとか。
レム睡眠
2025/03/17 時々朝3時過ぎに目覚めてしまう事があり、こんな時は無理に寝ようとはせず朝のルーティンを行った後に二度寝をするようにしています。そんな時は鮮明な夢を見る事が多くまた二度寝して目覚めた時の爽快さは何とも言えません。そもそも夢を見るのはレム睡眠の時とされていますがレムとは身体がリラックスしているにも関わらず頭は活発に動き目も目まぐるしく動くRapid eye movement(急速眼球運動)の略の事を言いますが、この睡眠時は身体はリラックスしているのでこの眠りから覚めた時、本当にぐっすり寝たそんな気分になるのだそうです。レム睡眠は記憶の定着すなわち日中に学んだ情報を整理し長期記憶として保存するプロセスや感情の処理すなわちストレスの軽減や感情の安定にとっても重要であり時にはアイデアや斬新な解決策を思いつく手助けとなり心身の健康にとって極めて重要だそうです。たまには超早く目覚めるのもいいものだと思っています。
ルヴァン美術館。
2025/03/03 軽井沢にはたくさんの素敵な美術館があります。例えば、フランス語で「風」を意味するルヴァン美術館もその一つ。この美術館の建物は大正ロマン華やかなりし時代に自由で独創的な学校という教育方針を掲げて設立した当時お茶の水にあった文化学院の創設当時の校舎を再現したものです。その設計者であり設立メンバーの一人の西村伊作氏の作品を展示しているほか夏になると美術館ではコンサートも開かれます。英国風の美しい庭を眺めながらベランダでランチを楽しむひとときは心身ともに癒され、庭を見ているだけで日々の疲れが消えていきます。夏の軽井沢の楽しみの一つであり、私にとって風が運んでくれる癒しの場所です。
リ・ボーン
2025/02/26 最近Reをつけた言葉が巷で溢れています。リスケ、リフォームはたまたリベンジ等々。合併問題で揺れたあの自動車会社が以前CMで流していたリボーン( Reborn)もその一つ。人生においてリボーンする機会に巡り会う人はそう多くないと思いますが 昨年10月にある事をきっかけにリボーンを思い立ち実践しています。以前から’今を一所懸命’をモットーにしてきましたが今まで以上に今を大切にする事を心がけるようになりました。日常生活でも一時期お酒を断ったり筋トレも鍛えるところを変えたり、また毎日の記録をこまめに残すようになりました。 変わらないのは朝のルーティンですが朝風呂をやめその代わり一風変わったシャワーを始めました。頭髪シャンプーの後、リンスを頭になじませている間にボディーシャンプ―をし、その後打たせ湯のごとく背中をシャワーのお湯で打ちながら500回の歯磨きと500回の骨盤底筋群体操を行っています。何ともまあ忙しいひとときですがこれがまた爽快。 かれこれ4ヶ月は続いているでしょうか。リボーンのおかげでこれからの老後が一層楽しみになりました。変化は進化です。
ラン
2025/02/10 62歳までマラソン、トライアスロンをして膝を酷使したせいなのか、はたまた歳のせいなのか、今では信号が変わるときの駆け足でも膝が痛みランすることが出来なくなってしまいました。いわゆる変形性膝関節症の軽いものなのかと勝手に思っています。まあゴルフやテニスをする時には不思議と痛みを感じることがなくまた最近は正座をする機会も少なくなり日常生活上の支障もないためそのまま放置しています。正座が当たり前だった昔はさぞかし年寄は大変だったろうなと思う昨今です。
酔いについて
2025/01/21 昨年後半からしばらく禁酒をする事になりました。約二か月間の禁酒。それまでは2~3日飲まないと口元寂しくなり、ビールでのはじめの一杯が至上の喜びと思っていたのですが、さて酒解禁と決めた日にも関わらずいつの間にか飲みたいという意欲もなくなっていました。久しぶりのお酒でどの程度酔うのか不安だったためアルコール度数3%のほろ酔いピーチなるものを多少口にしたのですが、それだけで顔はほてり、何やら倦怠感が襲ってきました。それからというもの、お付き合いの席でもあれだけ好きだったビールをちびちび飲み、お酒を勧められてもせいぜいビールがグラスに半分、そしてワイングラスに半分程度でかなりな酔いを感じる始末。こんな自分を見ているのも実に面白いものです。ヨーロッパの方ではノンアルコール派がすでに1/3を占めているとか。ノンアルコール専門のバーもあるとか。この際、お酒断ちしようかと本気で思っている今日この頃です。
雪
2025/01/14 今年の冬は各地から大雪の知らせが届いています。スキーヤーやボーダーにとっては喜ばしいニュースですが、悲しいことに最近は各地のスキー場が閉鎖というニュースも入ってきます。私の健康のバロメータとして毎年2kmあまりのバーンをノンストップで下り、そしてリフトで休憩してまた滑る事を繰り返していたスキー場も今シーズンから閉鎖になってしまいました。そこは現在の皇后、雅子さまがご成婚前にご家族で宿泊し、スキーを楽しんだ事で有名になったスキー場ですが、ゲレンデに面しているホテルは温泉もあり、雰囲気もよく、昔はよく訪れたものでした。ガソリン代の値上げ、そして人材不足も重なり、どこのスキー場も経営面では四苦八苦らしいとのこと。こんなに雪が降っても寂しい限りです。さて今シーズンはどこで滑ろう。
野菜サラダ
2024/12/28 最近、運動不足がたたってか多少重くなったため昼食は野菜サラダだけを摂ることにしています。家で用意したもの(キャベツあるいはレタス、キュウリ、玉ねぎそしてパプリカそれぞれを切ったものを小分けにしただけですが)をただ皿の上に載せそれにトマトを加え、塩、コショウ+オリーブオイルで味付けするだけ。たまにはお手製のポテトサラダもアクセントとして加えたりしてひと味足しています。ポテトサラダを作るときには茹でたポテトをひたすらつぶしますが無心になれていい時間です。
もしもピアノが弾けたなら~
2024/12/05 これは中年以上の方ならご存じだと思うのですが1980年放映の‘池中玄太80キロの主題歌です。医師になりたての頃でしたが不思議と番組を観ていた記憶があります。主役は勿論 故西田敏行さん。まったくのはまり役でした。今インターネットを見ると各界からの彼に対する追悼の言葉が多くみられます。福島県郡山市出身で役者を目指し高校から明大中野に進学した私の同郷の方です。郷土愛にあふれ、また郡山には友人も多く市内の病院ではお見舞いに来ていた彼を見かけたと医師仲間から聞いた事もあります。3.11の後、福島県双葉町の住民のほとんどが役場ごと加須市の騎西高校に避難した際、医療ボランティアとして週末加須市に出かけていた時期がありました。そんな折、ラーメン屋さんを従えてボランティアとして来たのが西田さんです。私を知る郡山市の彼の知人も一緒だったこともあり、ラーメンをすすりながらお話する機会がありました。テレビそして映画で見るそのままのお人柄の方でした。気さくで優しく、気配りももちろん、たちまちのうちにファンになってしまいました。土曜日夕方放映されている’人生の楽園‘のナレーションがまた一層心に染み、毎週欠かさず観ていました。今はその声も聞くことが出来ず、実にさみしい限りです。
目黒不動尊
2024/11/22 都内にある私の好きなお寺の一つが目黒不動尊です。木々に囲まれた境内は広く静寂そのもの。そこが目黒の繁華街のほど近くにあるとは思えない雰囲気です。 かの西郷隆盛は君主島津斉彬の病気平癒願いに日参したとか。 またさつまいもで有名な青木昆陽もこのお寺に眠っています。近くには都内を代表するうなぎの名店’にしむら’もあり休みの日の午後のひとときに訪れてはリフレッシュしています。
ムサシ
2024/11/14 東京スカイツリーの高さが634(ムサシ)m。 これは武蔵の国にちなんでその高さにしたとか。 この事は皆さんご存知だと思うのですが、さて武蔵の国というのはいつの頃からどこの地域を指していたのかご存じでしょうか? 律令国家時代すなわち600年代、 その当時全国を五畿七道にわけ 五畿とはいわゆる今の近畿地方で朝廷の周辺地域を指し、そこから延びる幹線道路を七道と呼びそれぞれの道沿いにある地域を国の名前で呼んでいたようで、東山道から東海道に属するようになった武蔵の国は今の東京、埼玉そして神奈川の一部( 川崎と横浜)だったようです。 その中心は今の府中。律令時代の国府を府中と言ったとのことで今の名前に至っているそうです。またまた 学びがありました。
未体験
2024/10/30 この年になってもまだ未体験のことが多いです。若い時は私ぐらいの歳になったらほとんど経験し、悟りの世界にはい入っているだろうと思っていました。現実はそうはいかないようです。そんな体験をするとき人はどのような思いをするのでしょう1.不安でならない。 2.不安だがちょっと楽しみ 3. 楽しみだがちょっと不安 4.楽しみなどに分けるとしたら、自分はどうなのか? もちろん種類にもよると思いますが今回の体験は世間一般的には辛い体験に属するものでした。私は3でした。そして体験中は経過を興味深く観察し記録しながら楽しんでいる自分がいました。人生は実に面白いものです。
My way
2024/10/16 朝のルーティンでピアノを毎日飽きもせず弾いている事は前にも書きました。これまでは楽譜を見て暗譜するという作業を繰り返していたのですが、最近弾き始めたMy wayは頭の中で歌が聞こえそれを勝手に音取りをして全くの自己流で弾いています。なんとか雰囲気だけは弾けるようになりましたが歌詞を口づさみながら弾きたいと思いユーチューブで探したところ、布施明が歌うMy wayの歌詞とフランクシナトラが歌うMy wayの歌詞が似て非なることに初めて知りました。前者は昔を懐かしく思い、そしてその思いを次の世代に伝えるもの、後者は自分はいろいろあったけどこれだけやったんだという自己満足、いやいや自信と言った方がいいかもしれません。私は勿論前者の布施明の歌う歌詞が好きで口ずさんではこれまでの色々な思い出にひたっています。 ‘今、船出が近づくこの時に、ふとたたずみ私は振り返る、遠く旅して歩いた若い日をすべては心の決めたままに。愛と涙とほほえみにあふれ今思えば楽しい想い出よ、君に告げよう迷わずに行くことを君の心のきめたままに・・・’
本物の人物
2024/10/02 この歳になるとこれまで多くの方々との出会いを通し‘本物の人物’を見分けることが多少なりとも出来るようになっている気がします。では本物の人物とは果たしてどんな方なのか、私なりの勝手な解釈になるが、真にその道に長けている人、あるいはその道を継続しそして究めている人とでも言えるでしょうか・これはどの分野でも当てはまります。医学の世界は勿論のこと、音楽や美術そして映像などの芸術の世界、スポーツの世界さらには政治、経済の世界にもそのような人がいます。そんな特別な世界でなくとも市井にもたくさんそのような方はいます。農業に従事している方、ご商売をしている方、町おこしに頑張っている方々さらに昨今の落ち着かない状況の中でボランティア活動をしている方などです。その方々の共通すること、それは決して偉ぶらない事、目線は常に低く持っていること、そしていつも子供のような好奇心を持ち、前に進んでいるような人だと思っています。そのような人物に出会うと本当に心からすがすがしい気持ちになりますしちょっぴりですが自分も成長できるような気がします。
ヘリコバクタピロリ
2024/09/26 今年の春、胃カメラをする機会があり、ごたぶんにもれず萎縮性胃炎と診断されました。特に症状はなかったのですが念のためピロリ検査を当日呼気テス(UBIT)で行い、陽性。やはり衛生環境が悪い時代に育ったからなのでしょう。ピロリ菌は胃がんの原因の一つと考えられており、除菌をすることにし、一週間2種類の抗菌剤とPPIの除菌薬を服用、その間禁酒しなければならずそれが一番辛いでした。その後の検査で(―)を確認しましたがその頃から胸やけをするようになりました。どうやらピロリ菌を退治したため胃内の酸性が強くなり生じたのでしょうが特に飲みすぎるとこれまでよりも胸やけを感じることが多くなり、飲む量も以前よりは多少は控えるようになりました。まあこの除菌のおかげで最近の胃がん発症数は減少しているのですから多少の胸やけは仕方がないと感じる今日この頃です。
富士山
2024/08/30 一度も登らない馬鹿と二度登る馬鹿。 そんな言葉が言われる富士登山。近年は日本人のみならず多くの外国人が富士山を訪れ、弾丸登山なる言葉も生まれました。私が登った約30年前登山者はほとんどが日本人。ゆっくりゆっくり登ったものでした。 9合目の山小屋で仮眠しそして頂上へ。8月だというのに零下の気温に寒さに震えていた思い出があります。そしてご来光。日本の一番高いところから臨む日の出はとにかく格別なものでした。下りがまた大変。爪が割れてしまいました。 今は人数制限のため、登山料も取るとか、時代は変わったものです。 変わらないのはいつの世も富士山は日本人の心のよりどころとなっている事でしょうか。我が家の茶の間から見える日にはつい拝んでしまいます。
悲願のメダル
2024/08/06 日本列島も暑いですが花の都Parisはオリンピックで熱く深夜のテレビ観戦で寝不足の毎日が続いています。日本人若武者たちの活躍は目覚ましいもののメダル取得はほんの一握り、競泳ではついにたった一人のメダル獲得に終わってしまった。体操やスケートボードなどはそれこそ金ラッシュと競技種目によっては明暗悲喜こもごもの様子を呈しています。さて悲願のメダル筆頭はと言えば、すべての選手にあてはまりますが私にとってはゴルフの松山、前回の東京オリンピックでは3位決定のためのプレーオフでメダル獲得を逃しましたが今回は見事ブロンズメダル。松山の表彰台でのはしゃぎよう、いつもしかめっ面をしているだけに世界の松山にして悲願のメダルだったのでしょうね。それにしてもプレーは手に汗握るもので、深夜にかけLIVEでの映像を見ながら一喜一憂していました。終わった時にはテレビの前で思わず拍手。 暑い夏の夜のさわやかな一コマでした。