当クリニックについて
院長の一言
西暦の絞込み:未体験
2024/10/30 この年になってもまだ未体験のことが多いです。若い時は私ぐらいの歳になったらほとんど経験し、悟りの世界にはい入っているだろうと思っていました。現実はそうはいかないようです。そんな体験をするとき人はどのような思いをするのでしょう1.不安でならない。 2.不安だがちょっと楽しみ 3. 楽しみだがちょっと不安 4.楽しみなどに分けるとしたら、自分はどうなのか? もちろん種類にもよると思いますが今回の体験は世間一般的には辛い体験に属するものでした。私は3でした。そして体験中は経過を興味深く観察し記録しながら楽しんでいる自分がいました。人生は実に面白いものです。
My way
2024/10/16 朝のルーティンでピアノを毎日飽きもせず弾いている事は前にも書きました。これまでは楽譜を見て暗譜するという作業を繰り返していたのですが、最近弾き始めたMy wayは頭の中で歌が聞こえそれを勝手に音取りをして全くの自己流で弾いています。なんとか雰囲気だけは弾けるようになりましたが歌詞を口づさみながら弾きたいと思いユーチューブで探したところ、布施明が歌うMy wayの歌詞とフランクシナトラが歌うMy wayの歌詞が似て非なることに初めて知りました。前者は昔を懐かしく思い、そしてsその思いを次の世代に伝えるもの、後者は自分はいろいろあったけどこれだけやったんだという自己満足、いやいや自信と言った方がいいかもしれません。私は勿論前者の布施明の歌う歌詞が好きで口ずさんではこれまでの色々な思い出にひたっています。 ‘今、船出が近づくこの時に、ふとたたずみ私は振り返る、遠く旅して歩いた若い日をすべては心の決めたままに。愛と涙とほほえみにあふれ今思えば楽しい想い出よ、君に告げよう迷わずに行くことを君の心のきめたままに・・・’
本物の人物
2024/10/02 この歳になるとこれまで多くの方々との出会いを通し‘本物の人物’を見分けることが多少なりとも出来るようになっている気がします。では本物の人物とは果たしてどんな方なのか、私なりの勝手な解釈になるが、真にその道に長けている人、あるいはその道を継続しそして究めている人とでも言えるでしょうか・これはどの分野でも当てはまります。医学の世界は勿論のこと、音楽や美術そして映像などの芸術の世界、スポーツの世界さらには政治、経済の世界にもそのような人がいます。そんな特別な世界でなくとも市井にもたくさんそのような方はいます。農業に従事している方、ご商売をしている方、町おこしに頑張っている方々さらに昨今の落ち着かない状況の中でボランティア活動をしている方などです。その方々の共通すること、それは決して偉ぶらない事、目線は常に低く持っていること、そしていつも子供のような好奇心を持ち、前に進んでいるような人だと思っています。そのような人物に出会うと本当に心からすがすがしい気持ちになりますしちょっぴりですが自分も成長できるような気がします。
ヘリコバクタピロリ
2024/09/26 今年の春、胃カメラをする機会があり、ごたぶんにもれず萎縮性胃炎と診断されました。特に症状はなかったのですが念のためピロリ検査を当日呼気テス(UBIT)で行い、陽性。やはり衛生環境が悪い時代に育ったからなのでしょう。ピロリ菌は胃がんの原因の一つと考えられており、除菌をすることにし、一週間2種類の抗菌剤とPPIの除菌薬を服用、その間禁酒しなければならずそれが一番辛いでした。その後の検査で(―)を確認しましたがその頃から胸やけをするようになった。どうやらピロリ菌を退治したため胃内の酸性が強くなり生じたのでしょうが特に飲みすぎるとこれまでよりも胸やけを感じることが多くなり、飲む量も以前よりは多少は控えるようになりました。まあこの除菌のおかげで最近の胃がん発症数は減少しているのですから多少の胸やけは仕方がないと感じる今日この頃です。
富士山
2024/08/30 一度も登らない馬鹿と二度登る馬鹿。 そんな言葉が言われる富士登山。近年は日本人のみならず多くの外国人が富士山を訪れ、弾丸登山なる言葉も生まれました。私が登った約30年前登山者はほとんどが日本人。ゆっくりゆっくり登ったものでした。 9合目の山小屋で仮眠しそして頂上へ。8月だというのに零下の気温に寒さに震えていた思い出があります。そしてご来光。日本の一番高いところから望む日の出はとにかく格別なものでした。下りがまた大変。爪が割れてしまいました。 今は人数制限のため、登山料も取るとか、時代は変わったものです。 変わらないのはいつの世も富士山は日本人の心のよりどころとなっている事でしょうか。我が家の茶の間から見える日にはつい拝んでしまいます。
悲願のメダル
2024/08/06 日本列島も暑いですが花の都Parisはオリンピックで熱く深夜のテレビ観戦で寝不足の毎日が続いています。日本人若武者たちの活躍は目覚ましいもののメダル取得はほんの一握り、競泳ではついにたった一人のメダル獲得に終わってしまった。体操やスケートボードなどはそれこそ金ラッシュと競技種目によっては明暗悲喜こもごもの様子を呈しています。さて悲願のメダル筆頭はと言えば、すべての選手にあてはまりますが私にとってはゴルフの松山、前回の東京オリンピックでは3位決定のためのプレーオフでメダル獲得を逃しましたが今回は見事ブロンズメダル。松山の表彰台でのはしゃぎよう、いつもしかめっ面をしているだけに世界の松山にして悲願のメダルだったのでしょうね。それにしてもプレーは手に汗握るもので、深夜にかけLIVEでの映像を見ながら一喜一憂していました。終わった時にはテレビの前で思わず拍手。 暑い夏の夜のさわやかな一コマでした。
箱松(はこまつ)
2024/07/04 最近高松市にある栗林(りつりん)公園を訪れる機会がありました。この公園は高松松平家の下屋敷があったところに1745年までの100年間をかけてできた庭園です。その特徴は1400本以上もの松がありその中の1000本はまるで盆栽を大きくしたように綺麗に手入れされ続けています。そして風情のある池の周囲には北斗七星を模した屋敷や茶屋が静かに佇んでいます。この公園の存在はこれまで全く知らなかったのですが香川県を訪ねることを高松松平家の14代目にあたる方にお話ししたところお薦めされました。ガイドの方のお話をお聞きしながらの散策でしたがそこは予想をはるかに超えた名庭園、日本の三大庭園(後楽園、偕楽園、兼六園)には入らないが五大庭園には入るとガイドの方から説明されましたがいやいやまさに日本一の庭園と心から強く感じました。特に見事に手入れされた箱松は必見です。どの角度から見ても盆栽の集合。香川県が盆栽シェアの全国一という事も今回初めて知りました。まだまだ日本各地、知らない事ばかりです。
のみの夫婦
2024/06/25 昔よく使われていた言葉がいつの間にか使われなくなってしまったものがあります。のみの夫婦もその一つでしょうか。果たしてどのくらいの若者がこの意味を知っているでしょう?かくいう私も使わなくなって久しく、どんな意味かも忘れていました。さっそく今はやりのAIに聞いてみたところこんな答えが返ってきました。 回答を生成しています… 「蚤の夫婦(のみのふうふ)」という言葉は、夫よりも妻の方が体格が大きい夫婦を指すことわざです。この表現は、蚤(ノミ)の雌が雄よりも大きいという事実に由来しています12。とありました。 いままでの夫婦像は男性が大きく女性が小さいカップルがほとんどだったような気がします。それが最近の日本人の体型をみるにつけ、女性の身長は各段に伸びており今ではのみの夫婦がさほど珍しくなくなったような気がします。
熱しやすく冷めやすい
2024/06/10 昔から熱しやすく冷めやすい性格でした。とにかく興味ある事があるときには後先考えずそれに取り掛かり、そしていっとき周りが見えないほどに集中するのはいいのですが、たちまちの内に熱が冷め、中途半端になってしまう事の繰り返しでした。 それが40前に始めたジョギングからマラソンそしてトライアスロンは62歳まで続けられ、水泳もしかり、そして60の手習いで始めたピアノもまだ続いています。どうも歳を取ってから興味を持ち始めた事はなんとか続いているような気がします。若い時には興味が多く、目移りしがちだったのでしょうか。歳をとるとそれなりに落ち着きあるいは目移りする対象が少なくなってきたからなのでしょうか。味覚も変わってきますがこのような性格も変わってくるものなのですね。
ヌキテパ
2024/05/24 この言葉を耳にしたことはありませんか?フランス語を習い始めた頃、この言葉がなぜか耳から離れず、いつの頃からかフランス語と言えば真っ先にヌキテパを思い浮かべるようになりました。本来の意味は電話で‘ちょっとお待ちください’の意味だそうでne quittez pas と書きます。Quittezは‘去る’という意味だそうで、‘切らないで’なのでしょう。恋愛の中でもこの言葉は使われるようです。‘離れないで’そしてもう一つ自分のスタイルを保持するという意味も。本来の自分を見失うなという意味なのでしょう。情報が錯綜する昨今、いろいろな情報に振り回されややもすれば自分を見失いがちな現代、そんな時ヌキテパを思い出すのもいいのかなと思います。
忍耐力
2024/05/16 子供の頃はとかく何事も長続きしませんでした。中学、高校の頃の部活動しかり、大学でもテニス部は4年で辞めてしまいました。そして何か事があると、我慢できず、つい一言口を出したり、行動に出たりしていた自分がいました。そんな子供時代から今の自分は想像も出来ません。歳を重ねるごとに忍耐強くなってきた自分がいるのです。これは外科医として診療や手術を通して鍛えられたのか、はたまたいろいろな経験や読書などを通して世の中をある意味客観的にそして冷静に見えられるようになってきたからなのかわかりませんがともかく今、仕事場で我慢できない場面に直面してもまずは周囲を見渡し、一呼吸置き、そして考えてから少しは行動できるようになってきたようです(と思ってますが・・・)。齢40にして惑わずと昔の人は言っていましたがこの境地はどうやら還暦を過ぎそして古希になってようやくわかってきたような。それに合わせるかのように忍耐力がついてきたような気がしています。
為せば成る~
2024/04/25 J.F.ケネディが日本の政治家で最も尊敬できる人として挙げたのがこの言葉‘為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり’を家臣に告げ財政危機となった米沢藩の経済困窮を救った上杉鷹山です。米沢市に行くと街の中にその名残を見ることが出来ます。それが家の周りを囲む生垣です。その生垣に‘ウコギ’という植物を用い、棘があるため防犯にもなり、一方食用としても用いられるため財政困難に陥っていた時、鷹山の奨励で各家がこの‘ウコギ’を生垣として用いたのが始まりだそうです。 私もこれまでの人生、困難に陥った時いつもこの言葉を思い出しては自らを鼓舞してきました。
時計
2024/04/04 私が幼き頃は時計に囲まれた生活をしていました。というのも実家が時計屋を営んでいたからです。あの頃は入学記念や就職祝いの贈り物の定番として腕時計が好まれそのおかげで生業も右肩上がりの時代でした。時が経つにつれデジタルウオッチが世の中に出るようになり、量販店でも時計が売られるようになり、次第に町から修理もできる時計屋がなくなってしまいました。昔の腕時計は手巻きあり手の動きで自動で巻き上がるものありでした。修理は勿論、町の時計屋でしたしその仕事ぶりはまさしく職人芸でした。今ではデジタルそれも最近ではスマートウォッチなるスマホと連動し多機能の便利なものが若い世代では当たり前の様です。この世界も様変わりしたものです。でも私たちの世代ではやはりアナログが一番、秒針が一秒一秒時を刻むのを見るたびに‘時’を感じ、なぜかホットした気持ちになります。
テニス
2024/03/27 テニスとの付き合いはどれほどになるでしょうか、出会いは大学、確か19歳の時だったかと思いますが、それからかれこれ50年。半世紀もの間お付き合いいただいているスポーツです。テニスというと他のスポーツと比べておしとやかなスポーツと思われる方が多いのではと思いますが、いやいやその動きは瞬発力、忍耐力そして相手との駆け引きが問われは走りが基本のなかなかのスポーツです。でも他のスポーツと比べ高齢者でもできる事は間違いなく、若かりし日、テニスを始めた理由の一つとして人生の後半でも出来るからとの思いがあったからです。働き盛りの30代、40代には極まれにしかできませんでしたが、今でも月に一度はラケットを握るように心がけています。これからどのぐらい今の走るテニスをキープできるか定かではありませんが、できるだけ長くお付き合いいただきたいと思っています。
土いじり
2024/03/08 歳を重ねると若いころよりも自然に親しむ機会が多くなると言いますが何故なのでしょう? 今、月に一度週末には故郷福島に帰り、庭いじりを楽しんでいます。そんな土いじりなど若い時分、自分がするなど想像も出来ませんでした。早朝、起床と共に朝のルーティーンをこなし最後の締めが庭掃除を兼ねた土いじりです。雑草を一本一本抜いている時、その生きる逞しさにただただ驚いています。冬場はまだいいのですがこれがシーズンになると帰るたびにまた一からやり直し。でもそんなとき、世事の雑音から解放され無心に作業している自分がいます。きっと年老いるとやがては自分も自然回帰するからかななどうららかな春の日和の中でついそんな事を考えてしまいます。
チョコレート
2024/02/19 今年のバレンタインデーがいつの間にか過ぎていました。このバレンタインデーなるものはキリスト教と深い関係があり、2月14日を愛に関する特別な日と認識されていたのは実にローマ時代にまでさかのぼれるそうです。1900代半ばに日本でも取り入れられ、それ以降日本独自のバレンタインデーが出来上がりました。それは商業ベースで始まったチョコレートを贈る習慣ですが、このチョコレートを女性から男性に贈ること、それが女性の男性への愛の告白の代名詞となることなどは日本独特だそうです。日本人はいろいろな面で欧米の文化を取り入れ、それから独自の文化を創り出す事が得意なのですね。
~川崎さいわいがんウイーク2024年開催のお知らせ~
2024/02/05 毎年2月4日が世界がんデーということをご存知でしょうか? ‘がん’についての意識向上と検診、予防さらには治療への取り組みを促すため、世界的な対がん組織である国際対がん連合UICC(Unio Internationalis Contra Cancrum)がこの日を世界対がんデーという記念日にしました。日本人の2人に1人ががんに罹患する昨今、昔と違いがんは身近な病気になりました。また‘がん’と病名を告げられる事をはばかられた時代も今は昔、今では一般的な病名として世間では受け入れられています。がんについて少しでも関心を持っていただき、がんの予防はもちろん、早期発見、早期治療に結びつけていただけたらとの思いで、石心会川崎地区の医療施設である川崎幸病院、川崎幸クリニック、第二川崎幸クリニックの3施設共催で2016年より2月4日からの一週間、かわさき幸がんウイークと銘うって種々の催しを開催しております。 コロナ禍の3年半、展示のみにて開催しておりました本会も、本年からは最終日の2月10日にハイブリッド形式によるミニレクチャーも企画しております。また会期中、院内では患者さんによる手作りの作品を展示しております。またイーライリリー社のご協力を受け‘リリー・オンコロジー・オン・キャンバス’に寄せられたがん患者さんやそのご家族の方々の作品を展示しております。 この機会に少しでも多くの方々にがんについて関心を持っていただきそして学んでいただけましたら幸いです。 2024年2月 第二川崎幸クリニック 院長 関川浩司
炊き出し
2024/01/24 能登半島地震から3週間、まだまだ先の見えぬ避難生活を強いられている方が多くいます。そのような状況を連日報道を通じて知ることが出来ますがその中で炊き出しの光景を目にすることがあります。先日も杉良太郎氏がキッチンカー3台を仕立て、肉うどんやカレーを炊き出ししていました。その他大勢の方が寄付やボランティアを通じて災害に遭った方々へ手を差し伸べています。その人達は異口同音に明日は我が身、思いやる心が大切と言っていますが’情けは人の為めならず’という言葉を思い出します。3.11の時、福島県の双葉町の方々が埼玉県加須市の高校に長期避難していた時、福島県出身の一人としていてもたってもいられず、加須の避難所で福島医大のOB、OG達と医療ボランティアをしていた時期がありました。その折、同じ福島県出身の西田敏行さんがたしか原宿にあるラーメン店の方々と一緒に炊き出しに来ていました。その時食べたラーメンのおいしかった事を昨日の事の様に覚えています。避難されている方々にとって温かな炊き出しは本当に心にしみるものだなとTVの映像を見ながらあの当時を思い出しては今も避難されている方々へ思いを寄せています。頑張れ能登半島!!!
早慶戦
2024/01/12 昨年の秋、6大学野球の早慶戦が地方巡業の形で福島市で開催されました。地元のOB達の熱意で開催が決まったようですが、観客席はプロ野球顔負けの満員御礼だったとか。6大学野球のそれも早慶戦の人気のほどがうかがえました。オフシーズンにはこのように地方での開催が定期的に行われていると慶大野球部OBの方にお聞きしました。その方は現役時代なんと6大学野球の首位打者を3度獲得、当時は雑誌ベースボールの表紙を王貞治氏と並んで飾っていたほどの活躍だったとか。その後一時社会人野球にも籍をおきましたが会社人生を全うし、一流企業のトップにまで上り詰め、今は悠々自適、趣味で絵を描き時々個展も開いているとか。そのようなお話をその方のアトリエでお聞きする機会がありました。そして当院のオープンギャラリーでの個展のご協力もしていただけるとのこと。当院での個展、今から楽しみです。
2024年 年頭にあたってのご挨拶
2024/01/04 あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。 本年の元旦は初日の出も愛でることが出来、穏やかな一日を過ごせると思っていた矢先の能登半島地震でした。また2日には羽田空港での衝突炎上事故。まさに一寸先は闇と感じさせられた年始めとなってしまいました。川崎市医師会からも元旦から今後の能登半島医療支援に関する緊急連絡が入りました。2日には新たな緊急連絡が入り、羽田空港への医療支援の要請に関するものでした。 このような一連の動きから改めて‘必要とされる医療’を提供し続けること、それが私たち医療者の使命と考えさせられました。落ち着かない状況で始まった2024年ですが、本年もスタッフ一丸となりブレずに一年を過ごしたいと思っております。 本年は開院9年目を迎えます。これまで唱えてきたa)情報の共有b)明るい職場環境つくりc)自らが受けたい医療の提供のための創意工夫d)誰もが働きたくなる職場環境作りの4点を今後も継続して参ります。財団の基本理念‘断らない医療’患者主体の医療‘’地域に根ざし、地域に貢献する医療‘を常に心に刻み当院の基本精神である’和顔愛語、先意承問‘を実践していただきたいと思います。 今年の当院の標語は‘飛翔’と’Thoughtfulness’にしました。開院9周年を迎えるにあたり、皆が龍のように空高く飛ぶがごとく一歩前進する年になるよう、さらにはスタッフ同士がお互いを思いやり、働きやすい職場でよりよい医療を提供するという意味をこめました。 本年もよろしくお願いいたします。 2024年初春 社会医療法人財団石心会 第二川崎幸クリニック 院長 関川浩司