当クリニックについて
院長の一言
西暦の絞込み:酔いについて
2025/01/21 昨年後半からしばらく禁酒をする事になりました。約二か月間の禁酒。それまでは2~3日飲まないと口元寂しくなり、ビールでのはじめの一杯が至上の喜びと思っていたのですが、さて酒解禁と決めた日にも関わらずいつの間にか飲みたいという意欲もなくなっていました。久しぶりのお酒でどの程度酔うのか不安だったためアルコール度数3%のほろ酔いピーチなるものを多少口にしたのですが、それだけで顔はほてり、何やら倦怠感が襲ってきました。それからというもの、お付き合いの席でもあれだけ好きだったビールをちびちび飲み、お酒を勧められてもせいぜいビールがグラスに半分、そしてワイングラスに半分程度でかなりな酔いを感じる始末。こんな自分を見ているのも実に面白いものです。ヨーロッパの方ではノンアルコール派がすでに1/3を占めているとか。ノンアルコール専門のバーもあるとか。この際、お酒断ちしようかと本気で思っている今日この頃です。
雪
2025/01/14 今年の冬は各地から大雪の知らせが届いています。スキーヤーやボーダーにとっては喜ばしいニュースですが、悲しいことに最近は各地のスキー場が閉鎖というニュースも入ってきます。私の健康のバロメータとして毎年2kmあまりのバーンをノンストップで下り、そしてリフトで休憩してまた滑る事を繰り返していたスキー場も今シーズンから閉鎖になってしまいました。そこは現在の皇后、雅子さまがご成婚前にご家族で宿泊し、スキーを楽しんだ事で有名になったスキー場ですが、ゲレンデに面しているホテルは温泉もあり、雰囲気もよく、昔はよく訪れたものでした。ガソリン代の値上げ、そして人材不足も重なり、どこのスキー場も経営面では四苦八苦らしいとのこと。こんなに雪が降っても寂しい限りです。さて今シーズンはどこで滑ろう。
野菜サラダ
2024/12/28 最近、運動不足がたたってか多少重くなったため昼食は野菜サラダだけを摂ることにしています。家で用意したもの(キャベツあるいはレタス、キュウリ、玉ねぎそしてパプリカそれぞれを切ったものを小分けにしただけですが)をただ皿の上に載せそれにトマトを加え、塩、コショウ+オリーブオイルで味付けするだけ。たまにはお手製のポテトサラダもアクセントとして加えたりしてひと味足しています。ポテトサラダを作るときには茹でたポテトをひたすらつぶしますが無心になれていい時間です。
もしもピアノが弾けたなら~
2024/12/05 これは中年以上の方ならご存じだと思うのですが1980年放映の‘池中玄太80キロの主題歌です。医師になりたての頃でしたが不思議と番組を観ていた記憶があります。主役は勿論 故西田敏行さん。まったくのはまり役でした。今インターネットを見ると各界からの彼に対する追悼の言葉が多くみられます。福島県郡山市出身で役者を目指し高校から明大中野に進学した私の同郷の方です。郷土愛にあふれ、また郡山には友人も多く市内の病院ではお見舞いに来ていた彼を見かけたと医師仲間から聞いた事もあります。3.11の後、福島県双葉町の住民のほとんどが役場ごと加須市の騎西高校に避難した際、医療ボランティアとして週末加須市に出かけていた時期がありました。そんな折、ラーメン屋さんを従えてボランティアとして来たのが西田さんです。私を知る郡山市の彼の知人も一緒だったこともあり、ラーメンをすすりながらお話する機会がありました。テレビそして映画で見るそのままのお人柄の方でした。気さくで優しく、気配りももちろん、たちまちのうちにファンになってしまいました。土曜日夕方放映されている’人生の楽園‘のナレーションがまた一層心に染み、毎週欠かさず観ていました。今はその声も聞くことが出来ず、実にさみしい限りです。
目黒不動尊
2024/11/22 都内にある私の好きなお寺の一つが目黒不動尊です。木々に囲まれた境内は広く静寂そのもの。そこが目黒の繁華街のほど近くにあるとは思えない雰囲気です。 かの西郷隆盛は君主島津斉彬の病気平癒願いに日参したとか。 またさつまいもで有名な青木昆陽もこのお寺に眠っています。近くには都内を代表するうなぎの名店’にしむら’もあり休みの日の午後のひとときに訪れてはリフレッシュしています。
ムサシ
2024/11/14 東京スカイツリーの高さが634(ムサシ)m。 これは武蔵の国にちなんでその高さにしたとか。 この事は皆さんご存知だと思うのですが、さて武蔵の国というのはいつの頃からどこの地域を指していたのかご存じでしょうか? 律令国家時代すなわち600年代、 その当時全国を五畿七道にわけ 五畿とはいわゆる今の近畿地方で朝廷の周辺地域を指し、そこから延びる幹線道路を七道と呼びそれぞれの道沿いにある地域を国の名前で呼んでいたようで、東山道から東海道に属するようになった武蔵の国は今の東京、埼玉そして神奈川の一部( 川崎と横浜)だったようです。 その中心は今の府中。律令時代の国府を府中と言ったとのことで今の名前に至っているそうです。またまた 学びがありました。
未体験
2024/10/30 この年になってもまだ未体験のことが多いです。若い時は私ぐらいの歳になったらほとんど経験し、悟りの世界にはい入っているだろうと思っていました。現実はそうはいかないようです。そんな体験をするとき人はどのような思いをするのでしょう1.不安でならない。 2.不安だがちょっと楽しみ 3. 楽しみだがちょっと不安 4.楽しみなどに分けるとしたら、自分はどうなのか? もちろん種類にもよると思いますが今回の体験は世間一般的には辛い体験に属するものでした。私は3でした。そして体験中は経過を興味深く観察し記録しながら楽しんでいる自分がいました。人生は実に面白いものです。
My way
2024/10/16 朝のルーティンでピアノを毎日飽きもせず弾いている事は前にも書きました。これまでは楽譜を見て暗譜するという作業を繰り返していたのですが、最近弾き始めたMy wayは頭の中で歌が聞こえそれを勝手に音取りをして全くの自己流で弾いています。なんとか雰囲気だけは弾けるようになりましたが歌詞を口づさみながら弾きたいと思いユーチューブで探したところ、布施明が歌うMy wayの歌詞とフランクシナトラが歌うMy wayの歌詞が似て非なることに初めて知りました。前者は昔を懐かしく思い、そしてその思いを次の世代に伝えるもの、後者は自分はいろいろあったけどこれだけやったんだという自己満足、いやいや自信と言った方がいいかもしれません。私は勿論前者の布施明の歌う歌詞が好きで口ずさんではこれまでの色々な思い出にひたっています。 ‘今、船出が近づくこの時に、ふとたたずみ私は振り返る、遠く旅して歩いた若い日をすべては心の決めたままに。愛と涙とほほえみにあふれ今思えば楽しい想い出よ、君に告げよう迷わずに行くことを君の心のきめたままに・・・’
本物の人物
2024/10/02 この歳になるとこれまで多くの方々との出会いを通し‘本物の人物’を見分けることが多少なりとも出来るようになっている気がします。では本物の人物とは果たしてどんな方なのか、私なりの勝手な解釈になるが、真にその道に長けている人、あるいはその道を継続しそして究めている人とでも言えるでしょうか・これはどの分野でも当てはまります。医学の世界は勿論のこと、音楽や美術そして映像などの芸術の世界、スポーツの世界さらには政治、経済の世界にもそのような人がいます。そんな特別な世界でなくとも市井にもたくさんそのような方はいます。農業に従事している方、ご商売をしている方、町おこしに頑張っている方々さらに昨今の落ち着かない状況の中でボランティア活動をしている方などです。その方々の共通すること、それは決して偉ぶらない事、目線は常に低く持っていること、そしていつも子供のような好奇心を持ち、前に進んでいるような人だと思っています。そのような人物に出会うと本当に心からすがすがしい気持ちになりますしちょっぴりですが自分も成長できるような気がします。
ヘリコバクタピロリ
2024/09/26 今年の春、胃カメラをする機会があり、ごたぶんにもれず萎縮性胃炎と診断されました。特に症状はなかったのですが念のためピロリ検査を当日呼気テス(UBIT)で行い、陽性。やはり衛生環境が悪い時代に育ったからなのでしょう。ピロリ菌は胃がんの原因の一つと考えられており、除菌をすることにし、一週間2種類の抗菌剤とPPIの除菌薬を服用、その間禁酒しなければならずそれが一番辛いでした。その後の検査で(―)を確認しましたがその頃から胸やけをするようになった。どうやらピロリ菌を退治したため胃内の酸性が強くなり生じたのでしょうが特に飲みすぎるとこれまでよりも胸やけを感じることが多くなり、飲む量も以前よりは多少は控えるようになりました。まあこの除菌のおかげで最近の胃がん発症数は減少しているのですから多少の胸やけは仕方がないと感じる今日この頃です。
富士山
2024/08/30 一度も登らない馬鹿と二度登る馬鹿。 そんな言葉が言われる富士登山。近年は日本人のみならず多くの外国人が富士山を訪れ、弾丸登山なる言葉も生まれました。私が登った約30年前登山者はほとんどが日本人。ゆっくりゆっくり登ったものでした。 9合目の山小屋で仮眠しそして頂上へ。8月だというのに零下の気温に寒さに震えていた思い出があります。そしてご来光。日本の一番高いところから望む日の出はとにかく格別なものでした。下りがまた大変。爪が割れてしまいました。 今は人数制限のため、登山料も取るとか、時代は変わったものです。 変わらないのはいつの世も富士山は日本人の心のよりどころとなっている事でしょうか。我が家の茶の間から見える日にはつい拝んでしまいます。
悲願のメダル
2024/08/06 日本列島も暑いですが花の都Parisはオリンピックで熱く深夜のテレビ観戦で寝不足の毎日が続いています。日本人若武者たちの活躍は目覚ましいもののメダル取得はほんの一握り、競泳ではついにたった一人のメダル獲得に終わってしまった。体操やスケートボードなどはそれこそ金ラッシュと競技種目によっては明暗悲喜こもごもの様子を呈しています。さて悲願のメダル筆頭はと言えば、すべての選手にあてはまりますが私にとってはゴルフの松山、前回の東京オリンピックでは3位決定のためのプレーオフでメダル獲得を逃しましたが今回は見事ブロンズメダル。松山の表彰台でのはしゃぎよう、いつもしかめっ面をしているだけに世界の松山にして悲願のメダルだったのでしょうね。それにしてもプレーは手に汗握るもので、深夜にかけLIVEでの映像を見ながら一喜一憂していました。終わった時にはテレビの前で思わず拍手。 暑い夏の夜のさわやかな一コマでした。
箱松(はこまつ)
2024/07/04 最近高松市にある栗林(りつりん)公園を訪れる機会がありました。この公園は高松松平家の下屋敷があったところに1745年までの100年間をかけてできた庭園です。その特徴は1400本以上もの松がありその中の1000本はまるで盆栽を大きくしたように綺麗に手入れされ続けています。そして風情のある池の周囲には北斗七星を模した屋敷や茶屋が静かに佇んでいます。この公園の存在はこれまで全く知らなかったのですが香川県を訪ねることを高松松平家の14代目にあたる方にお話ししたところお薦めされました。ガイドの方のお話をお聞きしながらの散策でしたがそこは予想をはるかに超えた名庭園、日本の三大庭園(後楽園、偕楽園、兼六園)には入らないが五大庭園には入るとガイドの方から説明されましたがいやいやまさに日本一の庭園と心から強く感じました。特に見事に手入れされた箱松は必見です。どの角度から見ても盆栽の集合。香川県が盆栽シェアの全国一という事も今回初めて知りました。まだまだ日本各地、知らない事ばかりです。
のみの夫婦
2024/06/25 昔よく使われていた言葉がいつの間にか使われなくなってしまったものがあります。のみの夫婦もその一つでしょうか。果たしてどのくらいの若者がこの意味を知っているでしょう?かくいう私も使わなくなって久しく、どんな意味かも忘れていました。さっそく今はやりのAIに聞いてみたところこんな答えが返ってきました。 回答を生成しています… 「蚤の夫婦(のみのふうふ)」という言葉は、夫よりも妻の方が体格が大きい夫婦を指すことわざです。この表現は、蚤(ノミ)の雌が雄よりも大きいという事実に由来しています12。とありました。 いままでの夫婦像は男性が大きく女性が小さいカップルがほとんどだったような気がします。それが最近の日本人の体型をみるにつけ、女性の身長は各段に伸びており今ではのみの夫婦がさほど珍しくなくなったような気がします。
熱しやすく冷めやすい
2024/06/10 昔から熱しやすく冷めやすい性格でした。とにかく興味ある事があるときには後先考えずそれに取り掛かり、そしていっとき周りが見えないほどに集中するのはいいのですが、たちまちの内に熱が冷め、中途半端になってしまう事の繰り返しでした。 それが40前に始めたジョギングからマラソンそしてトライアスロンは62歳まで続けられ、水泳もしかり、そして60の手習いで始めたピアノもまだ続いています。どうも歳を取ってから興味を持ち始めた事はなんとか続いているような気がします。若い時には興味が多く、目移りしがちだったのでしょうか。歳をとるとそれなりに落ち着きあるいは目移りする対象が少なくなってきたからなのでしょうか。味覚も変わってきますがこのような性格も変わってくるものなのですね。
ヌキテパ
2024/05/24 この言葉を耳にしたことはありませんか?フランス語を習い始めた頃、この言葉がなぜか耳から離れず、いつの頃からかフランス語と言えば真っ先にヌキテパを思い浮かべるようになりました。本来の意味は電話で‘ちょっとお待ちください’の意味だそうでne quittez pas と書きます。Quittezは‘去る’という意味だそうで、‘切らないで’なのでしょう。恋愛の中でもこの言葉は使われるようです。‘離れないで’そしてもう一つ自分のスタイルを保持するという意味も。本来の自分を見失うなという意味なのでしょう。情報が錯綜する昨今、いろいろな情報に振り回されややもすれば自分を見失いがちな現代、そんな時ヌキテパを思い出すのもいいのかなと思います。
忍耐力
2024/05/16 子供の頃はとかく何事も長続きしませんでした。中学、高校の頃の部活動しかり、大学でもテニス部は4年で辞めてしまいました。そして何か事があると、我慢できず、つい一言口を出したり、行動に出たりしていた自分がいました。そんな子供時代から今の自分は想像も出来ません。歳を重ねるごとに忍耐強くなってきた自分がいるのです。これは外科医として診療や手術を通して鍛えられたのか、はたまたいろいろな経験や読書などを通して世の中をある意味客観的にそして冷静に見えられるようになってきたからなのかわかりませんがともかく今、仕事場で我慢できない場面に直面してもまずは周囲を見渡し、一呼吸置き、そして考えてから少しは行動できるようになってきたようです(と思ってますが・・・)。齢40にして惑わずと昔の人は言っていましたがこの境地はどうやら還暦を過ぎそして古希になってようやくわかってきたような。それに合わせるかのように忍耐力がついてきたような気がしています。
為せば成る~
2024/04/25 J.F.ケネディが日本の政治家で最も尊敬できる人として挙げたのがこの言葉‘為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり’を家臣に告げ財政危機となった米沢藩の経済困窮を救った上杉鷹山です。米沢市に行くと街の中にその名残を見ることが出来ます。それが家の周りを囲む生垣です。その生垣に‘ウコギ’という植物を用い、棘があるため防犯にもなり、一方食用としても用いられるため財政困難に陥っていた時、鷹山の奨励で各家がこの‘ウコギ’を生垣として用いたのが始まりだそうです。 私もこれまでの人生、困難に陥った時いつもこの言葉を思い出しては自らを鼓舞してきました。
時計
2024/04/04 私が幼き頃は時計に囲まれた生活をしていました。というのも実家が時計屋を営んでいたからです。あの頃は入学記念や就職祝いの贈り物の定番として腕時計が好まれそのおかげで生業も右肩上がりの時代でした。時が経つにつれデジタルウオッチが世の中に出るようになり、量販店でも時計が売られるようになり、次第に町から修理もできる時計屋がなくなってしまいました。昔の腕時計は手巻きあり手の動きで自動で巻き上がるものありでした。修理は勿論、町の時計屋でしたしその仕事ぶりはまさしく職人芸でした。今ではデジタルそれも最近ではスマートウォッチなるスマホと連動し多機能の便利なものが若い世代では当たり前の様です。この世界も様変わりしたものです。でも私たちの世代ではやはりアナログが一番、秒針が一秒一秒時を刻むのを見るたびに‘時’を感じ、なぜかホットした気持ちになります。
テニス
2024/03/27 テニスとの付き合いはどれほどになるでしょうか、出会いは大学、確か19歳の時だったかと思いますが、それからかれこれ50年。半世紀もの間お付き合いいただいているスポーツです。テニスというと他のスポーツと比べておしとやかなスポーツと思われる方が多いのではと思いますが、いやいやその動きは瞬発力、忍耐力そして相手との駆け引きが問われは走りが基本のなかなかのスポーツです。でも他のスポーツと比べ高齢者でもできる事は間違いなく、若かりし日、テニスを始めた理由の一つとして人生の後半でも出来るからとの思いがあったからです。働き盛りの30代、40代には極まれにしかできませんでしたが、今でも月に一度はラケットを握るように心がけています。これからどのぐらい今の走るテニスをキープできるか定かではありませんが、できるだけ長くお付き合いいただきたいと思っています。