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国語辞書と言えば・・・

2017/03/14 私が小さいころの国語辞書の代名詞は金田一家、その言語学の初代京助氏は言語学者で特にアイヌ語の研究では第一人者でもありました。盛岡市の出身で東京にお住まいだったこと、その頃 お金に窮していた石川啄木が居候していたというのも有名な逸話です。その息子金田一晴彦氏も国語学では第一人者であり、金田一家の累系にはDNAが脈脈と続き言語学を代表する家系となったようです。もちろんそれぞれの人々の努力はあったと思いますがDNAは侮れませんね。

事を遂げる者は愚直でなければならぬ。才走っては上手くいかない。

2017/03/09 洗足池の傍らにご夫婦で眠るお墓があります。それが江戸城そして江戸を無血開城に導いた一人、勝海舟のお墓です。その横には敵でありながらお互いを尊敬しあい、無血開城に尽力した西郷南洲翁をまつった神社があります。東京が廃墟と化さずに皇居をはじめとし昔の面影を多少とも残しているのは彼のおかげと勝手に思い、毎年欠かさず元旦にお参りしています。今年はマラソンの練習を兼ね、20kmランの途中でお参りしてきました。勝海舟は彼を殺しに来たはずの坂本竜馬をも魅了し常に世界的視野を持ちながら立ち振る舞い、一方では江戸っ子気質でいつも庶民的な気持ちを忘れず、気さくに町人たちとつきあっていた素敵な人物でした。そんな彼が残した言葉です。’か’から始まるもう一人好きな人物でしたので紹介しました。

悠々として急げ

2017/03/07 茅ケ崎にある彼の記念館に寄ったときに飾ってあったこの言葉、なかなか意味が深いなと思い,すぐに直筆の複製色紙を買い求めていました。壽屋宣伝部(現サントリーの広報)から文筆の世界に入り、その後あのベトナム戦争まで従軍し、九死に一生を得た人。釣が好きで、お酒が好きで、自由人として暮らしながらいつも社会に厳しい目を向けていた人。それが開高健でした。あんな生き方できたらいいなと若い時分から思っていましたが、あの茅ケ崎の記念館を訪れてからはその人間の大きさ、深さに改めて触れることができ益々好きになりました。

若かりし頃、日本では受け入れられずに世界で注目された人物

2017/03/01 いつもエネルギッシュに活動し、あの大きな目で楽団員をしった激励し、病に倒れたのちも常に次世代の若い音楽家たちを思っていた人。あるジャズピアニストが引退公演をしているとき、その引退を心から惜しみ、突然立ち上がり‘やめるな~’と叫んだ情熱的な人、それが小澤征爾です。今では世界のマエストロと言われていますが、若かりし頃はいろいろな人間関係で苦労され日本では一部の若い作家や芸術家たちからしか支持されていなかったようです(本物は本物を理解するといったところでしょうか)。‘小澤征爾さんと、音楽について話をする’(村上春樹著)を読み益々好きになりました。

2月26日のこと

2017/02/28 1936年2月26日の東京は雪でした。その日、青年将校たちがクーデターを起こそうとし永田町一帯を占拠。一時は東京に戒厳令がしかれました。そして今年の2月26日東京は晴れ、最高気温14度と日向では本格的な春を思わせるような陽気でした。その中で行われた東京マラソン、平和な東京が一つになりました。今年からゴールが東京駅の真ん前の行幸通りであっただけに思いはひとしお。3年ぶりの参加でしたが目標時間のサブファイブをわずか21秒でしたがなんとか切ることができ、ゴール後大いなる満足感とともに肉離れで痛む足を引きづりながら、皇居から荷物受取場所となった日比谷公園まで歩いていました。あの81年前の日に少し思いを馳せながら・・・。

敵にも重用された才能の人

2017/02/21 戊辰戦争後に東北列藩同盟は全滅し、残るは北海道函館 。幕府軍の一部が函館の五稜郭に立てこもったのは有名な話ですよね。幕府軍の艦隊を官軍に引き渡すことなく一路函館に渡った中心人物が榎本武揚。彼は若かりし頃にオランダに留学し船舶技術、航海術などを学んできました。ご存知のように五稜郭はほどなく官軍の手に落ち、本格的な明治の時代になりましたが、政府は新しい日本国を作るためいわゆる賊軍であった幕府側の人を多く徴用しました。榎本武揚もその一人です。いつの世も真剣に生きている人は誰かが見ているのですね。

ケネディ大統領をして日本で一番の政治家と言わしめた

2017/02/20 江戸時代、米沢藩は最貧の藩だったようで諸藩からもばかにされていました。その立て直しをしたのが上杉鷹山。かれは幼少の頃、他の藩から養子として上杉家に入り、財政をはじめ、生活、文化面など種々の立て直しをしました。まずは自らが手本となり、質素倹約を旨とし、地場産業を起こしたのです。今も米沢市を訪れるとその名残が見られますが、たとえばこうぞ(楮)を家の周りに植えて、その皮をむいて煮つめてどろどろの原料をすき、一枚一枚和紙にする産業を奨励したりもしていました。その他絹織物や染物など数多くの産業を興したといわれています。’成せばなるなさねばならぬ何事も成らぬは人のなさぬ成りけり’・・・好きな言葉の一つです。

高齢になっても常に好奇心と努力を惜しまず

2017/02/14 江戸時代、日本中をくまなく歩きながら歩測を中心として日本地図を作り上げた人物がいました。それも家督を次の世代に受け渡し、普通なら隠居生活をする年頃に一回り以上、年下の人に弟子入りをし測量法などを学んだ人、それが伊能忠敬でした。現役時代はそれこそ庄屋として村人の相談役や役人との交渉役をやったり、村おこしに精を出したり・・・きっと彼はいつも何かをしてなければ気が済まなったのでしょうが、いくつになっても前進している人、本当に素敵です。

熱き心で建築界に新たな息を吹きかけた人

2017/02/13 しばらく前ですが瀬戸内海に浮かぶ地中美術館に行きました。そこで見たのがコンクリート打ちっぱなしで地中に埋もれた建物、そこかしこにいろいろな工夫がみられ作品はもちろんの事、その建物自体がアートであると感じました。建築家の名前は安藤忠雄氏。いうまでもなく日本を代表する方です。若いときにはプロボクサーとしてボクシングに明け暮れた大阪っ子。そして世界放浪の旅。常に反骨精神そして何事にもチャレンジのハングリー精神で物事にぶつかり、ほぼ独学で建築学を学び、ついには東大教授までになってしまった、そんな生き方にいつの日からかひき付けられていました。その激しい気性?の中にも常に優しさを持ち、限られた資金の中でデザインを工夫し光が十字架を通し室内に入るという、光の教会、一度訪ねてみたいものです。

世界対がんデー

2017/02/08世界対がんデーがあることをご存知でしょうか?2月4日がその日なのですがそれにちなんで石心会川崎地区の医療施設群では昨年からかわさき幸がんウイークを1週間開催しています。今年も2月6日(月)からがんに関する市民健康塾、院内での各種展示そして最終日にはミューザ川崎で健康と音楽と題して対談と演奏会を企画しております。以下が開催にあたっての小生からの一言です。