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国を憂い国を思い

2017/05/26 ながら自らの命を絶った人物がいました。日頃から彼の書く美しい日本語の一文字一文字に魅了されてきた私は高校の図書館でその報道を聞き愕然としたことを覚えています。その人とは三島由紀夫、彼がとった行動や振る舞いは決して許されるものではありません。しかしながら彼が国を思う心、そして国を憂う心には理解できる面多々と青春時代の私は感じていました。今、国が揺れています。そしてこのような姿を見るにつけ暗雲とした気持ちになってしまうのは私だけでしょうか・・・政治,、行政は誰のためにあるのか、そして真実はどこにあるのか、正義とは・・・種々考えさせられる今日この頃です。未来ある子供たちの範となるよう、私たち大人はしっかりしなければなりません。

「ありがとう」と言う方は何気なくても、

2017/05/23言われる方はうれしい、

散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ

2017/05/18 昔 総理大臣を辞めるにあたって先祖が残したこの言葉を引用した方がいました。その総理とは細川護煕、そしてその先祖とは細川珠(子)、あの明智光秀の娘です。若かりし頃、細川護煕の辞め際の潔さに惚れたことを昨日の事のように覚えています(他方 無責任な辞め方だと言った声も多くありましたが・・・)。さて細川珠 キリシタン名 細川ガラシャは壮絶な死を遂げています。これは大河ドラマでも描かれているため皆さんよくご存じでしょうが石田三成勢に囲まれた細川邸で辱めを受けるより死を選ぶべしとの夫 細川忠興の命をうけ、家来に介錯させ、さらに屋敷に火を放ち遺骸も残さなかったそうです。その辞世の句が‘散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ’。:::私の好きな言葉の一つです。

日本を愛しながら日本で理解されず・・・

2017/05/17 おかっぱ頭でロイドメガネそしてちょび髭、その顔自体が漫画的なそんな画家。乳白色の透き通る肌を描かせれば他に追従するものなし、そんな日本人の画家がいました。藤田嗣治。またの名をレオナールフジタ。彼は森鴎外の次に軍医総監にまでなった父を持ち、東京美術学校(現 芸大)で学び、当時の日本の美術界に疑問を抱き、そしてパリに旅立っていきました。彼の芸術性を見出したのは目の肥えたパリの人々そして芸術家の人々でした。第二次世界大戦中は愛する日本に戻り、時には従軍画家として国のために絵を描き続けましたがそんな彼の行動に対して戦後は彼へのバッシングが吹き荒れ、やむなくパリにもどりました。腕一本で世界を魅了した藤田。秋田には藤田の巨大な作品‘秋田の行事’があります。現在は県立美術館に移ってしまいましたが平野政吉という経済人が藤田の絵のために美術館の中に部屋を作りその大作を飾っていました。藤田はその絵を通し秋田だけではなく日本を描きたかったのだと思います。彼が愛していた日本を・・・。

鉱山開発と解体新書

2017/05/10 江戸時代に多芸多才な人物がいました。あらゆる分野に精通し、また発明家でもあり、画家でもあり、時には鉱山開発にもたずさわっていた人物 それが平賀源内です。かれは秋田の佐竹藩に招かれ鉱山開発をしましたが、その縁で今も数多くの武家屋敷が残る角館生まれの小野田直武なる人物に蘭画の技法を教えています。なんとその小野田があの有名な解剖書の解体新書(ターフェルアナトミア)の表紙絵や解剖図を画いていたとは・・・・思わぬところで鉱山開発と解体新書がつながるものです。鉱山開発と解体新書、一見なんの関連もないように思われますが、この間にあるのは’ご縁’・・・人とのご縁は大切にしたいものですね。

若者よ、外へ眼を向けよ!

2017/05/08 あの伊達男、伊達政宗の命をうけ、1600年代初頭にスペイン(当時のエスパーニア)に渡り、その後ローマ法王にまで謁見した男がいました。その名は支倉常長(はせくらつねなが)。彼は7年という年月をかけ、太平洋~大西洋を抜けスペインそしてイタリアまで旅し、その後無事帰国という偉業を成し遂げました。その精神力、行動力そして交渉力は今でこそインターネットが発達し、世界は狭くなったといっても、実際に外の世界を見ずに、島国日本にとどまっていることが多くなった若者たちに是非知っていただきたいことです。仙台の町を歩いていると支倉通りがあります。杜の都仙台を訪れ、しばし往時に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?

#東北でよかった

2017/04/27 一夜にしてツイートが14万件を超えたという、#東北でよかった。これほどまでに一言の受ける印象を逆手に取り、見事なうっちゃりを見せたことは最近あったでしょうか?東北は福島の生まれの者としては涙が出そうです。医聖と呼ばれた野口英世も福島県猪苗代の生まれでした。貧農家に生まれ、赤ちゃんの時の囲炉裏でのやけど以来ハンディを背負っていたにも関わらず、勉学にいそしみ、世界の野口と言われるほどになりました。私の幼少時は医師と言えばシュバイツアーかノグチかというほどでした。そんな野口も青年期は金使いも荒く、金策に追われる日々もあったとか。当時出版された'当世書生気質'という本の主人公 野々口精作が自堕落な生活を送るという物語でその名前が自分の名前(当時は野口清作)に似ていることも後世名前を英世と変えた要因のひとつだったとか。

The Soul of Japan

2017/04/26 明治時代、日本人独得の花鳥風月への想いにつながる日本人の精神、生活様式などを書いた英文の本がありました。その本は‘武士道 The soul of Japan’と名付けられ、世界中の知識人に評判になりました。その著者が新渡戸稲造です。5000円札の肖像画に選ばれた方ですから日本人なら一度は顔を見たことがあると思います。22歳の時に私費でアメリカ留学を果たし、広い世界観を持ち、その後、ついには国際連盟の事務次長にまでなりました。太平洋戦争直前には戦争反対に奔走しましたが思いはかなわず・・・・。今まさに混沌とした時代、グローバルな世界の中で日本人としていかに処すべきか問われています。日本人としての在り方に今一度、立ち戻る時期と考えるのは私だけでしょうか・・・。

道草庵

2017/04/20 今年入職した研修医の一人に松山東高等学校出身がいました。

初心忘るべからず

2017/04/19 4月の今、新入生歓迎会や新社会人歓迎会があちこちで行われています。昨日も当院を始め川崎幸病院、川崎幸クリニック3施設合同歓迎会が催されました。若者等は明日への希望に胸を膨らませ眼を輝かせていました。この気持をずっと持ち続けていただきたいと思います。